スポンサードリンク
七宝焼の教室
七宝焼とは、銅板や銀板に独特な紬薬を乗せて、800度から900度で焼き上げます。
数分後、炉から取り出したその七宝焼は、世界でただ一つのオリジナルとなります。
これは、紬薬の乗せ具合、また微妙な温度差で二つとして同じ物ができないからです。七宝焼のアクセサリーから額絵まで、各種素材、材料、電気炉、そして製品が取り揃えられています。
その他、七宝焼の作り方や教室など、七宝焼のことなら何でもお気軽に問い合わせてみましょう。
きっと、一生の趣味になることでしょう。
七宝焼教室はカルチャースクールで開かれている場合もありますし、七宝焼を販売している店舗で実施していることもあります。
ネットで調べて自宅の近くで開催されている教室を探してみてはいかがでしょうか。
江戸中期には、京都に高槻七宝焼が七代にわたり継承されてきましたが、文久年間に途絶えています。
天宝年間には梶常吉がオランダ七宝を学び尾張七宝として今の日本の七宝の先駆者となっています。
弟子の育成にも尽力し、外国の工人による科学的な指導を受けたりしてその技術は向上していきました。涛川惣助は、陶器商でしたが、東京に七宝焼の工場を造っています。
七宝焼のパネル式絵画の最大の特徴は、何と言いましても季節や気分、あるいは模様替えなど、いつでも簡単に絵を取り換えることができるところです。
クロスを張り替えたとき、あるいは大切な来客があるきなど、いつでも自分の気分でどのようにでも組み換えることが可能です。
梶常吉は、名古屋の末広町で骨董商を営んでいた松岡嘉兵衛からオランダ船が運搬してきた七宝焼を手にいれました。
それを見本に試作を重ねましたが、なかなか上手くいかず、最終的には見本とした七宝焼を砕いて原料を分析したそうです。
その結果、七宝焼が銅を土台としてその上にガラス質の釉薬を焼き付けて作られていることを明らかにしています。
さらに、研究を積み重ねて、ようやく天保4年(1833)「盃」の完成に至っています。ここに尾張七宝が産声を上げ、近代の七宝焼の一歩が踏み出されたのです。
